第14話「オトコ会」/ちゃんちゃんCO
前回 第13話「帰り道と約束」
14話:オトコ会
「で。ボランティア活動してみて、どうだった?」
ボランティア活動のお礼に、少し良い居酒屋へ。
そう言っていた新賀さんは、新賀さんなりのおもてなしを感じる小洒落た居酒屋の個室を予約していた。
男三人の個室に、初めのうちは若干ソワソワしたものの、お酒が入ってしまった後は、そんなことは気にならなくなった。
二杯目のビールに口を付けている新賀さんは、いつもより機嫌が良さそうに、ニコニコとした笑顔を向けている。
「老人ホームの平均年齢が85歳前後という印象があった分、なんかもっとこう、介護が必要な人が多いかと思っていたんですけれど、人の手を借りる事なく歩いている方が多かったのが印象的でした。住宅型有料老人ホームだったから、っていうのも大きなポイントなのかとは思いますが…」
二杯目のハイボールを飲んでいる上田は、頬の色も変えずにいつも通りのスマートな感じで話す。
頷きながら話しを聞いている新賀さんをみて、自分も上田の話しに便乗した。
「確かに、2045年には平均寿命が100歳に到達すると予測されていることが、リアルに感じました。所感ですが、自分が子供の頃に感じた70歳とかって、もっと『老人』だったと思うんです。ただ、この前お会いした方々は、『老人』と呼ぶには早いような気すらしました」
「2000年の介護保険制度の創設後、2006年の老人福祉法の改正で有料老人ホームの定義が改められてから、民間事業者の手によって有料老人ホームが右肩上がりで増加しているっていう事は上田は知っているよな? その中でも、住宅型の老人ホームとして運営されているのが約6割。そもそもの話しになるけれど、有料老人ホームの定義って覚えているか?」
新賀さんから飛んできた問いに対し、上田は一度姿勢を整え腰に手を当てた。
「老人を入居させ、食事の提供、介護、洗濯・掃除等の家事の提供、健康管理、いずれかのサービスを提供している施設の事ですよね?」
「正解!」
パチンと指を鳴らした新賀さんが、分かりやすく上田に向かって大きめの拍手をすると、少し恥ずかしそうに上田は下を向いてハイボールを飲んだ。
その上田の姿に対しては、大して気にも留めずに、新賀さんは話しを続ける。
「二人に行ってもらったところは、介護のサービスは提供していない分、要介護度認定が軽度である人でないと基本的に入居不可。だから、二人が感じたことは的を得てる。あそこには、元気な老人しかいないんだから。金銭面も健康面も、幸せな老後を送れている人だけが入居出来る」
「つまり僕らは、三角形の頂点の部分を見てきたという事ですね」
頷いた新賀さんは、一口と言うには多い一口を口に含んで、ジョッキを机に置いた。
「今の仕事の業務に直結しなかったとしても、若いうちに老後を考えるっていうことは意味のある行為だと思う。人生には様々な突発的なイベントが付きまとう分、若いうちに出来るリスク対策はしておいた方が良い。ただ、理想を知っておかないと、進むべき道筋を決める事すらも難しくなるから、まず二人には今回の老人ホームへのボランティアに行ってもらった。これから先、辛い現実を目にする事も、この仕事をしていると幾度となくあるだろ。だからこそ、差を知って、その差を埋めていく為に何が出来るかを考えるって事を二人には意識して欲しいと思ってさ。きっと、貢献出来ることがあるはずだし、二人にはその力があるはずだと俺は思ってる」
真面目に語ってしまって照れ臭くなったのか「トイレ」と小さく言って、最後はイソイソと新賀さんは部屋を出て行ってしまった。
新賀さんがいなくなった後の個室では、上田の緊張が解れたのが空気で分かった。
「あー。けど、あそこの入居している人たちって、確かに余裕が感じられたもんな。金銭的な余裕からくる、心身的な余裕を感じた気がする」
大きな伸びをしながら、上田が言った言葉に大きく頷いた。
僕が頷いたのを見て、上田は話しを続けた。
「夫婦2人世帯の公的年金の受給額でも、平均20万円程度でしょ?ゆとりのある老後生活費は約35万円と言われてるけど、毎月35万円あったとしても、あそこで暮らすのって厳しそうだよな」
あの老人ホームを思い浮かべると、つい南山さんの事も思い出した。
あの日の上田の積極性も思い出しつつも、今の話題の中にも気になることがあった。
「そうだよね。入居一時金が必要ってことを考えると、本当に年金しかない人には有料老人ホームっていう選択肢自体が厳しいんじゃないかな。月額利用料に、入居一時金にあたる部分の費用を分割して上乗せすることも出来るところもあるらしいけど、それでも月々の負担額としてはプラスになるし。あれだけ元気なら、普通に生活していた方が低価格で自由度もあるだろうに、どうしてあの人達は老人ホームに入ると決めたんだろう?」
「確かに、そうだよね。最近は、引退後も働き続けて在職老齢年金制度によって60歳以上の就業者の1割が年金停止になっているとも言うから、年金だけで生きていない人達も実際多いんだろうけれど、高い老人ホームで余生を過ごすっていう選択肢は不思議だなぁ…」
新しく運ばれてきたハイボールのコップから顔を出している氷を人差し指で回しながら、首を傾げたところに新賀さんが戻ってきた。
「渋そうな顔して、どうした?」
「いや、あそこの老人ホームに入る人達の入居理由が僕たちの中では想像できなくて。お金の余裕もあって、金銭的な余裕もある老後だったら、老人ホームに入るメリットって無いんじゃないかと思うんですけど、…実際どういった理由で入居されるものなんですか?」
僕の問いにはすぐ答えずに、何かを考えているような表情を浮かべたまま、新賀さんは自分が座っていた場所に腰を下ろした。
そしてチラッとテーブルの空のお皿を見てから、メニューを手に取るとパラパラとメニューを捲りながら答えた。
「一般的に老人ホームの入居者は、7割以上は女性だと言われている」
「やっぱり、女性の方が寿命が長いからですか?」
上田の返答に、新賀さんが「そうだ」と答えて頷いた。
そのまま、店員の呼び出しボタンを探す素振りを見せたのを見て、僕は目の前にある呼び出しボタンを押した。
グッドサインを向けてきた新賀さんに、僕は小さく頭を下げた。
「老人ホームに入居を決める理由ねぇ…。例えば、ある女性は68歳のタイミングで、連れ添ってきた男性が亡くなって遺産だけ残った。子供はいるけれども、子供達は所帯持ちとなっており、世話になるのも何かしっくりこない。昔からの友達と会う機会も少なく、平日は数分ある子供との電話以外、誰とも会話することなく終わってしまう。この女性の気持ちを想像した時、上田はどう思う?」
「僕だったら、寂しい…と思う気がします」
上田の言葉に、人差し指をピンと指し「それが理由!」と言った。
その新賀さんの姿を見て、記憶の中でリンクされたのは不覚にも玲奈さんだった。
玲奈さんがよくやっていた動作をつい思い出してしまったこと自体に、心が苦しくなった。
今頃、玲奈さんは上海の地でも僕の前と同じようにして過ごしているのだろうか。
新賀さんと上田さんが話している光景を視界に入れながら、脳を鈍らせるように、僕はジョッキに残っていたビールを飲み干した。