第15話「自由が丘にて」/ちゃんちゃんCO
前回 第14話「オトコ会」
15話:自由が丘にて
【今週の土曜日14時に、この喫茶店待ち合わせでお願いします】
岡田さんからのメッセージに添付されている地図で場所を確認しながら、自由が丘の馴染みのない道を進む。
少しずつお店が近付くに連れ、トクトクと胸の鼓動が上がっていくのが自分でも感じ取れた。
金曜日には、廊下で出会った和子さんに「何か最近、良いことでもあったでしょ。表情に出ているわよ」と言われ、同僚のマイクにも「Did something good happen?」と聞かれてしまった。
仕事中にも漏れてしまっていたワクワク感に、ハッと息を飲んだ昨日。
ついに、訪れた当日にワクワクはドキドキに変化していた。
「…南山さん?」
背後から聞こえた声は空耳ではなく、振り返ると岡田さんが立っていた。
「わっ。岡田さん!」
「おっ、良かった。南山さんで合っていて、良かったです。声は掛けたものの、別人だったらどうしようって内心思ってました」
「へへっ」と小さく笑った岡田さんは、本当に安心して笑っているようだった。
突然の岡田さんの登場に、カーッと顔が熱くなっていくのを感じて、慌てて下を向いてマフラーの中に顔を埋めながら「良かったです」と小さく返した。
「なんとなく喫茶店なら自由が丘とか良さそうだなって思って、選んじゃったんですけど、南山さんって自由が丘とか来たりしますか?」
岡田さんの言葉に首を振る。
「自由が丘は初めてきましたっ!前から興味はあったんですけど、なかなか行くタイミングがなくて…。だからこそ、今日岡田さんキッカケで来れて嬉しいです。初めて行く場所って、それだけでワクワクします」
「初めてだったんですか!それは意外です。南山さん、自由が丘とか詳しいような気が勝手にしていて、むしろ色々とお店とか教えてもらいたいなとかも思っちゃっていました。でも、僕も実は初めてきたんです」
「あら!それは、期待に応えられなくて申し訳ないです。けれど同じ自由が丘初心者同士っていうことで、これから自由が丘を知っていくに連れ、情報交換とかも出来たら嬉しいです」
まるでヨーロッパの小さな街を歩いているかのように、歩く道の横には色とりどりの商品がウィンドウの向こう側に並んでいる。
カフェ、インテリアショップ、ハンバーガーショプ、アクセサリーショップ。
お洒落な街並みを二人で歩いていると、普通のデートのようだった。
むしろ、正直な気持ちを言ってしまえば、勉強会ではなく、このまま自由が丘デートを楽しみたい気持ちですらある。
ただ、岡田さんと私を繋ぐ『資産運用』というワードに今の私は縋るしかなく、本音を心の奥にしまったまま喫茶店に着いた。
「ぜひ、好きなメニューを注文して頂ければと思うんですけど、ここを教えてくれた人はバターコーヒーをオススメしていたので、僕はそれにトライしてみようと思います」
手に取って、内容を見ることなく差し出されたメニューのページを開くと、たしかに1ページ目にバターコーヒーがあった。
大きな天窓から光が差し込む店内には、鑑賞植物がところどころに置かれている。
その鑑賞植物の間を通りながら、斜め前の席に丁度バターコーヒーが運ばれているのが見えた。
「じゃあ、私も同じので」
2つのバターコーヒーが席に運ばれてきて、一息をつくと岡田さんはノートを取り出した。
「休日に時間を貰ってしまって申し訳ないんですけど、今日はちゃっかり学ばせて頂く予定で来ました!」
水色のノートを持って、嬉しそうな顔をしている岡田さんの無邪気さに若干キュンとしてしまったものの、私も持ってきたノートを机に出した。
「あくまでも素人の話しになっちゃうので参考になるか不安ですが、お話し出来そうなことはお話ししますね。ちなみに今って、岡田さんは何か資産運用とかやっていらっしゃるんでしたっけ?」
「正直にお伝えすると、少し金利の良いネットバンクの定期預金くらいしかやっていないです。金利0.15%とかのところに100万円入れているんですけど、年1500円しか増えないので運用とは呼べないなぁとは思ってます。普通の銀行に預けておいても0.001%とかしか金利が付かないので、それよりかはって思ったんですけどね…」
岡田さんは何故か申し訳そうな顔をして、頭をポリポリと掻いた。
「たしかに、普通に預けておくよりかは…っていう気持ちは分かりますっ。けれど、お金の使い方の選択肢が多い現代社会において、その100万円の置き方って結構勿体無いとは思います」
バターコーヒーを飲んでいた岡田さんは、カップを置くと共感するように力強く頷いた。
私も白い華奢なコーヒーカップを手にとり、優しく香るバターの香りに癒しを感じながら岡田さんの方に目をやった。
「前にもお話したかも知れませんが、上海にいるバイト先の先輩が資産運用に詳しい人で、社会人1年目の時に色んな運用について教わったりはしたんです。その時に、ポートフォリオとかについても習って、資産運用のメリットについては理解しているんですけど、どうしても一歩が踏み出せず…。結果として、定期預金しか取り入れていないダサい奴になってしまってます」
頷いて話しを聞きながら、私は最後に首を傾げた。
「別にダサく無いと思いますよっ!日本の家計の半分は現金や預金で、株や投資のリスク資産の保有は約20%に満たない程度と言われているので、岡田さんは日本人でいうと多数派だと思います」
「多数派かぁ…」と呟いた岡田さんは、一度腕を組んで考えているような表情を浮かべた後、「やっぱり、ださいなー」と肩を落とした。
「岡田さんは、何で資産運用をしたいと思ったんですか?」
「なんか、若い内はキャリアアップの転職とか含めて、社会人としてでも可能性の幅が広いと思うんですけど、それってドンドン狭まっていきますよね?年金不安とか、老後破綻とか物騒な言葉がある世の中で、自分の老後不安に備えていく必要性を感じたっていうのは大きい気がします」
備えが必要であるこれからの未来に対して憂鬱に感じたのか、岡田さんは溜息をついた。
「定年後の人生に対して、岡田さんはネガティブイメージの方が大きいんですね。けれど、アメリカの方々って定年後に対してハッピーなイメージを持っている人が多いんです。その違いって何だか分かります?」
「んー。国民性の違いですか?」
「それもあるとは思います。そもそもアメリカでは定年制度が無いっていう時点で色々違うかも知れ無いんですけど、リタイア後の人生を安心して楽しく過ごすために、アメリカでは一人一人が主体的に資産形成をしていっているんです。1995年から日本の家計金融資産の伸びは約1.5倍ですがアメリカでは約3倍まで拡大しているんですよ」
最初キョトンとした表情を浮かべた岡田さんは、すぐに驚いたように目を大きくした。
「えっ。その資産の差ってなんですか?」
「ちなみに、なんだと思いますか?」
岡田さんは、分かりやすく腕を組んで考え始めた。
私は、バターコーヒーに手を伸ばしながら、岡田さんに今日どんな資産運用のことを話そうか、改めて考えていた。