【最終話】第20話「学び続けるという事」/ちゃんちゃんCO
前回 19話「1万円札の原価」
20話:学び続けるという事
「そういえば、敬語で話すのやめません?ずっと思っていたんですけど、確か同学年とかですよね?」
岡田さんがお店を出てから、ジャズからクラシックへと曲調が代わり、春の声が流れ始めた店内。私を見て様子を伺っている上田さんを前にして、私は次の言葉を敬語で返すかどうかを一瞬の間考えた。
「そうだね。やめよっか」
こういう提案を相手からされて、敬語からタメ口になる瞬間、本当は座っちゃいけない場所に腰を下ろしてしまっているような若干の居心地の悪さを感じる事が多い。けれども、上田さんは私が敬語をやめた事に対して、嬉しそうな表情になったのを見て、なんだか安心出来た。
「こっちの方が自然な気がする。むしろ何回か会ったりしているのに、どうして岡田とはお互い敬語で話していたの?ずっと違和感だったんだけど…」
目の前にいる上田さんに、本音を話すべきか悩んで口をキュッと閉じた。岡田さんの事が好きだからタメ語にしてヘマをしたくなかった。敬語の方が、頭で考えて丁寧に話せる分、余計な口を滑らす可能性が低いから、っていう理由を上田さんに伝えるのは勇気が必要な事だった。
「んー、なんとなくタイミングを逃したっていうだけ、かな?」
「ふーん。そっか」
上田さんの表情からは、何を考えているのかイマイチ見当たらない。ふいに、カランコロンという音がして、幼稚園生くらいの子供と母親が入店してきた。入り口のドアの方を振り返って見た後、上田さんは首をポキポキと軽く音を鳴らし、肘をテーブルにつけた状態でこっちを見た。
少しだけ近い距離で顔を見て、透き通っている肌を含めてモデルみたいな人だなと思った。
「せっかくだし、今日の振り返りでもしよっか」
思いついたように、上田さんがいう。
「そうだね。個人的には、資産運用とかに興味がなかった上田さんが、今日の話しを聞いて何を思ったのかが気になるかも」
肘をついていた状態から、腕組みをした上田さんは考えるようにして宙を見た。
「そうだなー。今までは預金していれば、老後は安定だし、老後は一定のお金と健康があれば幸せって思っていたけれど、そうじゃないんだなって思った」
「…っていうのは、どうして?」
「なんか、老後の生活って俺の中では、もう別世界だったわけ。仕事関係で、日本人の平均寿命とか、貯蓄についてとか、数字で見たりする事はあったけれど、何か老後っていうのは、お金と魂と肉体だけ持っていく別世界みたいに感じていて。そこに俺が今普通に生活をして考える事とか、感じる事っていうのは存在しないものくらいに、どこかで思っていたんだけど、老後って本当にあくまでも人生の延長戦で、思考とかって若い頃と大きくは変わらないんだと思った」
最後にクシャミをした上田さんは、テーブルにあるナプキンで軽く鼻を拭いた。
「私も、老後に備えて資産運用とかをしながらも老後の生活っていうものが自分の中で落とし込めていなかったけれど、上田さんと同じような事を感じたなぁ…。あとは、今回の話しを聞いて、不動産投資系って価値のある投資だと思ったかな」
コーヒーを飲んだ上田さんは、考えるような表情で短い時間黙った後に、椅子に深く座り直した。
「確かに、加藤さん一家が、もとから持っていた土地じゃなくてお父さんとお祖父さんの共同資金で買った土地で老人ホームを経営しているっていう話しを聞いていて、俺も不動産に対する魅力ってものは感じたかな。老人ホームが成功したっていうのは大前提としてあるとは思うけど、それに加えて土地の価格は右肩上がりだって言ってたよね。不動産投資っていうのは時間っていう価値を利用した良い投資なんだなっていう事は、理解出来た。けど…」
「けど?」
「俺が例えば40歳とかになってさ、あんな土地やマイホームを買える自信なんて全くないんだ。だから正直、不動産投資は出来ないとも思ったんだよね。俺、南山さんの前で凄くかっこ悪い事、言っている気もするけど…現実的な話しね」
両手で顔を隠すように覆った上田さんは、上田さんのクールなオーラからは想像出来なかったので、意外な一面を見た気がした。
「うーん、そうだね。けど、加藤さんファミリーみたいな投資は難しくても、ワンルームマンションの不動産投資なら、上田さんも近いうちに出来ると思うし、そんなに不動産投資自身はハードル高くないと思うよ」
ワンルームマンション投資、という言葉を聞いた上田さんは驚いた顔で私を見た。
「ワンルームマンションの投資の話しは、たまに電話かかってくるけど、あれって怪しい投資じゃないの?詐欺みたいな」
周りの人に聞こえないように、少し小さめの声で話してきた上田さんを見て、つい笑ってしまう。
「バブルの後に、宅建業法がかなり厳しくなっているから、きちんと運営している会社なら詐欺っていうのは無いと思うけどね。ただ、怪しい会社もあるから見極めは必要かも」
「そうなんだ。ワンルームマンション投資ねぇ…。まだ資産運用について何も知らないから何とも言えないけど、今度調べてみようかな」
「自分への課題として、メモしとく」と言って、上田さんは携帯電話を取り出して、文字を打ち込んだ。私はその様子を見ながら、ウンウンと二回頷いた。
「南山さんは、物知りだね。今回老人ホームに少しだけ関わってみてさ、ヘンリーフォードの『学び続ける人は、いつまでも若い』っていう言葉を思い出したんだけど、まさにその通りだし、南山さんはそういう人生を送っていきそうだなって思った」
上田さんの素直な言葉を聞いた私は飲んでいたコーヒーを置いて、思わず笑みを漏らした。
「その言葉、私も好きだから嬉しい。時代に置いていかれないように、学びを続けていかなくちゃね」
上田さんが頷いたのを見た後、カップに少し残っていたコーヒーを全部飲み干した。私が飲み終わったのを見て、上田さんは時計を確認した。上田さんのカップも丁度空になったところだった。
「そろそろ行く?確か、南山さんも次の予定があるよね?」
頷くと、上田さんは立ち上がってサッとコートを羽織るとレジに向かって進んで行った。私がコートを来て、マフラーを首に巻いた後に小走りでレジに向かうと、上田さんはお会計を済ませていたところだった。
慌てて1000円札を取り出すと、スッと手で戻された。
「今日は良いから、また話しを聞かせて」
カランコロンと音を立てて、外に出ると外はもう暗くなっていた。
「そういえば、資産運用関係ないけど、1つ気になったから聞いても良い?」
「えっ、なに?」
「南山さんは、岡田の事が好きなの?」
「ふぉっ」
上田さんからの突然のぶっ込みに、変な声をあげて噎せてしまった。
「図星かな?けど、あいつは無理だから諦めなよ。バイト先の先輩に、ずっと長い事片思いしていて、多分付き合うって聞いてるから」
サラッとした突然の事実に、脳が付いていけなかった。
「そうなんだ…」
夢の中みたいな心地で答える。岡田さんが、私に敬語を使い続けた理由も何か他の理由があるような気がした。
ふと考え事をしていた顔をあげると、上田さんの顔が思ったよりも近くにあって「きゃっ」と声をあげた。
「考え事すると、立ち止まるタイプなんだね」
「うーん。そうかも…」
「帰り道、考えごとをしすぎて車に轢かれないでよ」
「うん…。気をつけます」
「ちなみに俺は…、南山さんの事を魅力的だなって思ってるよ。初めて会った時から」
「へ?」
「岡田とは違う感情でね」
相変わらず、脳が固まったまま辿りついた駅で、逆方面という事で上田さんと改札を入ったところで別れた。
「俺、もっと良い男になるよ。ちゃんと南山さんに似合う男になる。だから、岡田じゃなくて、今度からは俺に連絡して」
さり気なく別れ際に言われた上田さんの一言が頭の中でリフレインしながら、桃夏さんのもとへと電車は走る。
今日は、どんな報告をするべきか。
それが嬉しい報告なのか、悲しい報告なのかが分からなかった。
電車で目的地に向かって走って、目的地に到着していくように人生は進んでいく。
その中で何回途中下車があっても良いし、結局は戻って同じ路線に乗る。
和子さんや美希さんの笑顔を思い出しながら、楽しい電車の旅のように、人生を生きていきたいと思った。
-完-
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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