第7話「スーパーラッキーボーイ」/ちゃんちゃんCO
前回 第6話「オトンの悩み」
第7話「スーパーラッキーボーイ」
「せやけど、どうやって25歳の頃から資金作りしたん? その時になってみんと、正直分からんくない?」
トイレから戻ってきたオトンは、椅子に深く腰掛けると⾸を横に振った。
「25歳の時に自分の⽉々の⽣活費を⾒てみたら、今の物価でいうと月々11万円あれば⾜りることが判明してん。 将来を考えた時に⼤体今使っとる額の2倍のお金を月々使う計算で、15年分貯めとけば間違いないと思って。約4000万円を55歳までに作ろうと決めて、行動してきたんや」
オトンの話しを聞いて、携帯電話で電卓を弾くと、25歳から月々約11万円の貯金を55歳まで続けた場合4000万円貯まる計算になった。
「11万円の⽣活費じゃ⽣活できひんし、それこそ月11万円も貯⾦出来る気がせんわぁ…」
「考えが甘いなぁ。なんで、貯金しか頭にないん? それこそ、女の先輩から何か教わっとらんかった?」
「あっ。お⾦を運用して、増やしたってこと?」
無⾔のままオトンが⾒せた表情を⾒て、僕は「そういうことか」と小さく呟いた。
「やけどな、オトンはスーパーラッキーボーイやった」
「ん? どういうこと?」
セロリの浅漬けをポリポリと良い⾳を⽴てて⾷べたオトンは、ニヤッとした笑みを浮かべた。
「アメリカで仲良くなったジョンってやつがおってんけど、そいつは株が趣味っていう奴で。オトンは、そいつから株の⾯⽩みについて散々聞かされとったから、帰国した後にバイト代を貯めては株を買って⽣活をしとったんや。このタイミングが⾒事やってん」
「もしかして、それってプラザ合意辺りの話し?」
「さすが俺の息子やな」
予想を⾒事に当てた僕は、机の下で⼩さくガッツポーズをした。
「1980年頃からバブル崩壊まで、ブラックマンデーで少し下がったものの、株価は確か右肩上がりやったもんな」
「それや。ジョンのお陰で、オトンは株の運用をして4年間で資産を約20倍まで増やしたんや」
「20倍!」
100万円預けていたとしたら、2000万円。
まさか我が家に、バブルの恩惠を受けて株でボロ儲けをした人がいたとは…。
目の前に座っているオトンから漲る自信の根底にあるものが、少し分かったような気がした。
「もう、予想がついているかは思うけれどな、お前の年齢の時にほぼ老後資⾦作りを済ませてしまったんや。バブルが弾ける前に、ちゃんと手も引いたんやで」
「なんか、オトンずるいなぁ」
シャボン⽟が、パチンと弾ける様⼦を頭で想像した。
ちゃんと弾け散る前に、⼿元に資産を残したオトン。
今まで家にお金が無いとは思ったことが無かったものの、⼤きな贅沢もして来なかった。
強運の持ち主といえば、その⼀言で終わってしまうけれども、その背景には運用に興味を持って動いている背景がある。
「いや、さっきのズルいって⾔葉、撤回するわ」
「ん?」
熱燗の⽇本酒をゆっくりと飲んでいたオトンは、不思議そうな顔をした。
「株に興味を持って実際に始めたからこそ、オトンはチャンスを掴んだんやもんな。玲奈さんと出会って、ポートフォリオについても学んだのに、何もはじめていない僕とオトンは全然違う。チャンスを掴む準備が、オトンは整ってたってことやろ?」
「分かっとるやないか」
腕を組んだオトンは、ウンウンと二回嬉しそうな顔をして頷いた。
今日も仕事帰りのオトンは、いつもの⿊のオーダースーツにホコリの⼀つも付いていない。
飲んでいて、酔っ払っていても、だらし無くならない。
そんなオトンに憧れてきたことを⽬の前のオトンを見て、改めて実感させられた。
「話し戻すけどさ、オトン仕事好きやなかったっけ? 働かんくなったオトンって、想像出来ひんねやけど…。本音は、辞めたないんとちゃう? いくら、⽣活には困らないゆうても腑に落ちんわ」
「なんや…」
オトンは、腕を組んで目を瞑ると暫くの間、黙り込んでしまった。
そして、⽬を開けてお猪口に残っている熱燗をクイッと飲んだオトンの⽬は微かに潤んでいるように見えた。
「…そうなんよ。今の仕事が好きやからこそ、悩んどる。新聞でみたかと思うんやけど、来年度からオトンが働いとる会社が合併することになってなぁ。余剰人員削減の為に今回の制度が優遇された訳やから、⾃分みたいな古株は去っていくのが定めなんやないかという気もしてな」
「今の仕事が、オトンは好きなんやろ? その気持ちを優先しても良いんとちゃう?」
「せやけどなぁ…」
珍しくシンミリとしたオトンを⾒ながら、セロリの浅漬けを⾷べた。
この店のセロリの浅漬けの味は、玲奈さん抜きでも美味しかった。
セロリの旨味だけを引き出している、こだわりを感じるシンプルながらに奥深い味が沁みる。
「⾏動あるのみ、なんやな。オトンが早期退職について悩んでくれたお陰で、僕も未来の事を考えて行動せんとあかんな、って思ったわ。仕事に関しては、息子としてオトンが選んだ道で⽀えていこと思う」
僕の⾔葉を聞いて、オトンは⾚い顔をクシャッとして笑った。
「まだ、お前の世話にはならんわ。精進せい」
威勢の良いオトンの⼝癖を聞くと、いつもと変わらないオトンに安心した。
ただ、同じように感じている日常も、いつ大きく変化していくか分からない。
第二のスーパーラッキーボーイを⽬指して、サボってしまっていた資産運用の勉強をしようと⼼に決めた夜だった。