第17話:「夏の月」/NO(money+love) —私らしい人生って?—
マネーセミナーで出会った槙本という男性に誘われて合コンに…
そこには運命の人との出会いがあり?!
前回 第16話:「恋愛ミーティング」
第17話「夏の月」
こんな気持ちで銀座にきたのは、久しぶりだった。
地下にある、ビストロ。
ウェブサイトの店舗名を見て、看板の名前を確認した。
半月が浮かんでいる、月曜日の夜20時18分。
こんな日に限って帰り際に上司に捕まったことを悔やみつつ、コツコツと響くヒールの音を耳に感じながら、急ぎ足で階段を降りた。
—予約名聞いてないけど、槙本で良いのかな?
ドアを開けて入った店内を見渡すと、店員が話しかけてくる前に、槙本さんが分かりやすく手を上げた。
「桃夏さんっ!」
「すみません、遅くなってしまって…」
ポロシャツではなく、今夜はしっかりとした黒のスーツ。
土曜日とは違う印象の槙本さんに謝罪した後に、席に座っている6人に向かって頭を下げた。
「自己紹介をさっき始めたところなんで、ベストタイミングです!」
槙本さんの隣の席の比較的ガタイの良い男性が、グッドサインを出してニカっと笑った。
ホワイトニングをしているであろう、白い歯が姿を見せた。
「さて、全員揃ったので、乾杯しますか!」
私の注文したビールが届くと、グラスをあげた槙本さんに続いて乾杯をした。
鼻から抜けていく、ホップの香り。
ホップの苦味が際立てる、麦の甘み。
キーンと冷えたビールは、心地よく喉を刺激した。
「美味しそうに、飲むね」
目の前に座っている男性が、親が子供を見るような優しい目で私を見ていた。
「仕事終わりにビールを飲むっていうのが、久しぶりすぎて。ビールって、こんなに美味しかったっけ?って、一人で感動してました」
「普段、あまりお酒は飲まないの?」
「ここ最近、飲み会とかに参加していなかったので…」
「じゃあ、家では飲まない人なんだね。俺と一緒だ」
ニコッと、笑った男性。
薄っすらとチェックの柄が入っている上品なスーツに、水色のシャツ。
軽くパーマがかかっている、アップバングの黒髪ショートヘア。
少しギラギラしている風貌の中に、優しさが垣間見えた気がした。
「よし!自己紹介を再開しましょうか。あとで席替えもするので、名前だけ共有で。桃夏さんから、お願いしても良いですか?」
槙本さんの言葉に、私は姿勢を正した。
「遅刻をしてしまって、失礼しました。中園桃夏です。宜しくお願いします」
途中から変に緊張したせいで、最後は早口になった。
何となく目の前の男性と目を合わせると、男性は優しく微笑んで頷いた。
自己紹介は、私の左側に座っている女性へと続き、最後に目の前の男性の番になった。
「徳島の徳に、原っぱの原に、夏に、月で、トクハラカズキです。宜しくお願いします」
悪戯っぽい目をして、私の方を見た夏月さん。
「連合の法則…」
隣に座っているミキさんが奥の槙本さんのトークに高らかな笑い声をあげたお陰で、思わず口から零れた言葉は誰にも届かずに済んだ。
何故か私は、夏生まれの人を昔から好きになる。
少し困った表情で、首を傾げた夏月さん。
私は、右手を横に振って「なんでもないです」と言った。
「モモカって、果物の桃に、香りの香とか?」
夏月さんの質問に、私は首を横に振った。
「いえ、桃に夏です」
「そしたら、同じ夏生まれってことか」
「夏月さんも、夏って名前に入ってますもんね」
「もしかして、7月8日生まれだったりする?」
衝撃的すぎて言葉が出なかった私を見て、右手を顎にあてる形で腕を組んでいた夏月さんも驚いた顔をした。
自分の誕生日を当てられたのは、生まれて初めてだった。
「声、飲み込んでね」
そう言って、財布から免許証を渡してきた夏月さん。
1986年7月8日。
人生で初めて、誕生日が全く同じ異性と出逢った。
「まるまる一年違いです」
免許証を返すと、夏月さんは指先で上と下を指して首を傾げた。
私が地面の方を指すと、夏月さんは二回小さく頷いた。
「徳原さーん。桃夏さんを独り占めしないで下さいー!」
槙本さんが茶化すように言った声に、夏月さんはキョトンとした表情で固まって、戯けてみせた。
女性陣がおかしそうに笑うと、夏月さんは真面目そうな表情で槙本さんの方を向いた。
「二人は、どういう繋がり?」
「んー。勉強仲間ですかね」
「勉強仲間って、槙本と一緒になんの勉強をしているんですか?」
夏月さんの隣に座っている杉田さんが、不思議そうな顔をして私の方を見てきたので、みんなの注目の的になってしまった。
「企業主催の資産運用に関する勉強会に参加したら、たまたま槙本さんがいらっしゃって…」
「お前、資産運用の勉強会でナンパしたのか?」
「いやっ、ナンパではっ…」
「こんな美人、放っておけます?」
大げさに呆れた表情をした杉田さんは、その後すぐに満面の笑みを浮かべて槙本さんとハイタッチをした。
グッドサインで微笑んだ杉田さんに、私は愛想笑いを返した。
杉田さんのベルトの上に乗っているお腹が、目に付いた。
「俺も、興味あるな」
一気に3分の2を飲み干したビールジョッキを置いた夏月さんは、私に向かって一言言った。
「資産運用ですか?」
飲み放題のメニューをとって渡そうとすると、夏月さんは手を横に振った後、ビールジョッキを人差し指で叩いた。
「うん」
杉田さんが店員を呼んだのを見て、夏月さんは「俺の分もビール追加で」と早口で告げた後、私の方を見た。
「今度、連れて行ってよ」
「え?」
「連絡する」
私としっかり目を合わせて一回強く頷いた夏月さんは、ビールを飲み干すとトイレへと席を立った。
—あれ?私、酔ってる?
ジッと私を見つめてきた夏月さんの残像を頭に残して、私の心臓はバクバクと音を立てていた。