第17話「生きていくという事」/ちゃんちゃんCO
前回 16話「恋までの距離感」
17話:生きていくという事
あと数分で年明け。
除夜の鐘の音が、耳に年明けの気配を届けてくる。
来年こそは、資産運用に手をつける。
そんな決意を固めた時「実際の老後の現状を知った上で、自分の未来に向けた資産運用についても考えていきたい」と言っていた南山さんを思い出した。
寝っ転がって実家の天井の木目を見ながら老後について考えようとすると、両家の祖父の姿が思い浮かんだ。脳内で微笑む祖父を見て、禿げる可能性は少ないんだろうなっていう事だけ、ボンヤリと思う。
それでも映像としては、老後の自分は浮かんでこない。
ー老後の事を考えるのに見た目から入るって…根本的なところから、なんかちゃうな。資産運用の為やというのに。
両手で顔を覆い一度気持ちをリセットした後に、今後の経済状況について考えを巡らせる事にした。
ただ、しばらく考えてみて、この後の経済がどう動いていくかを考える事自体が、浅はかな行為だと気が付いた。自分には知識量が、圧倒的に足りていない。
ー自分の知識の浅はかさには、早めに気が付く事が肝心や。気が付けへんのは、アホの始まりやで!って、昔にオトンが言うてたしなぁ。
小さく溜息をついて、一度目を閉じたもののパチッと目を開いて携帯電話を手に取った。
数分後に返信を知らせた携帯電話の画面で、いつの間にかに迎えていた新年を感じながら、新しいスケジュール帳に予定を書き込んだ。
そして、1月中旬にあたる今日。
見慣れた老人ホームに着くと、河内さんと話していた南山さんが僕達に気がついて手を振った。
「岡田さんっ!あっ、上田さんも一緒にいらっしゃったんですね」
ペコッと頭を下げた南山さんと河内さんに、僕と上田も軽く会釈をした。
「臨時でボランティアをお願いしただけなのに、ひょんな縁からホームに足を運んで頂いて本当に嬉しく思っているのよ。オーナーの美希さんも、あなた達に会えるのが待ち遠しくって、まだかしら?ってカレンダーを見ながらソワソワしていたわ」
河内さんの表情の先に、今日会うオーナーの美希さんが好意的に僕たちを迎え入れてくれている事を感じた。
「お金のセミナーも参加させて頂いたのに、今日の場を設けて下さり、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。年明けに僕から南山さんに連絡して、まさかこんなに早くお会い出来るとは思っていなかったんですけど、僕たちも楽しみにしてきました」
「ぜひ、オーナーの美希さんにも伝えてあげて。そしたら喜ぶと思うわ」
ニコッと笑顔を見せた河内さんは「では、談話室に向かいましょう」と言って歩きだした。一階の中庭に続く扉の手前に「談話室」があった。
「あら!いらっしゃい、こんにちわ」
中に入るとネイビーのシンプルなワンピースに、オレンジ色のスカーフを巻いている白髪の女性が、ノートパソコンを畳んで立ち上がった。
短めのショートヘアに、大きめのイヤリングが品良く馴染んでいる。
「右から、南山さん、岡田さん、上田さん。この三人も、今日の日をとっても楽しみにして下さっていたみたい。今後の日本の未来を背負う優秀な若者達だから、今日は色々と濃い時間になるんじゃないかしら?」
約14畳くらいの部屋に、焦げ茶色のアンティーク家具が並び、真ん中にはピンクのバラが一輪挿しで置いてある。
僕たちは、挨拶と自己紹介を済ませ、席についた。
河内さんが出して下さった紅茶を一口飲んだ後、美希さんは「どんな事をお話しすれば良いのかしら?」と首を傾げた。
「個人的な事で恐縮ですが、歳を重ねるっていうのがどういう事なのか、何となく想像は出来るんですけれど、あくまでも何となくの想像で終わってしまうんです。実際どういう事が起きていくものなのか、若いうちにどういう備えをしていく事が重要なのか、っていう点について、オーナーの美希さんだからこそのお話しをお伺いしたいと思って、今日の場をお願いさせて頂きました。今日お伺いさせて頂いたお話しを仕事を含め、自分達の生活の中で意識していきたいと考えています」
僕の言葉に、上田と南山さんは頷いた。美希さんは、「なるほどねー」と言って少し考えるように腕を組んだ。
「私があなた達と同じくらいの時は、景気が少しずつ良くなっている時期だったのもあってか、今を楽しく生きるのがイチバン!みたいな感じで、未来の事なんて考えた事もなかったわ。周りの人がどうだったのかは知らないけれども、少なくとも私はね。だから、あなた達みたいな若者が今から老後について考えを巡らせているっていう事が私にとっては衝撃的。けれど、こうやって興味を持って話しを聞きにきて頂いたのはすごく嬉しい事なので、出来る限りお話しさせて頂きますね」
恐縮そうに「お願いします」と南山さんは頭を下げた。上田も続いたのを見て、自分も合わせる。
「私も、若い頃に老後なんて考えようとした事すらなかったから、ちょっと驚きよね…」
独り言のように呟いた河内さんの言葉に、美希さんは大きく頷きながらティーカップを口元に運んで一口飲むと「決めたわ」と言った。
「そうね…、私が物心がついた頃から母の希望で始めたのがココなの。あの時、母は38歳とかだったかしら。銀座駅のホームに並んでいた時に事故で電車が止まってしまって、1時間待ちという案内が放送で流れてガックリ肩を落としていたら、その時に横に立っていた銀座のマダムといった感じの70歳くらいの女性が話し掛けてきたんですって。その言葉をキッカケに、母は老人ホームを始める事に決めたの。何て言われたと思う?」
困ったような顔をして、南山さんが首を傾げた。
「私には帰りたくなる家も、行きたくなる場所も、一緒に何かを楽しめる友達もいないの。だから、今電車が止まったっていう非日常に、生きているんだって感じてしまったのよ。おかしいでしょう?生きるって、こういう事なの。いつかあなたにも、分かる日が来るわ。そう、綺麗な品のある笑顔で仰られた事が印象的で、私の母はココを始めたんだけど、今までこのエピソードしか聞かされてこなかった私は、どうして母が老人ホームを始めたのか腹落ちしていなかったの。ただ最近になって、私もこの母の行動の意味が分かるようになってきた」
ゆっくりと、僕たち3人の顔を見ながら話し出した美希さんを見ている間に、溜まった唾を飲み込んだ。
「ただ、はっきりとした理由を一言では言えないんだけどね、人生って長いのよ。あなた達の想像より、ずっと長い。早いって表現する人もいるけれど、振り返ると早いっていうだけなの。その中で、環境はどんどん変化していって、関わる人達は基本的に入れ替わっていく。自分の姿や、好みだって変わっていくわ。その中で、その時々の自分の居場所を探して関わっていく事が、豊かな人生を送れる秘訣だと思うの。それこそ、若い時の価値観のまま歳を重ねてしまうと、その生き方に苦しめられる事になる。ただ、常に幅広い選択が出来る状態にしておく、っていう意味でお金がもたらす事って人生の中で変わらないものなのよ」
「例えば、お金さえあれば、その時の自分の年齢に合った新しい環境を探そうと思った時にもフットワーク軽く動けるって事ですか?」
上田の言葉に、美希さんは微笑みながら頷いた。
「あくまでも私の持論だけど、生きるっていうのは如何に自分自身が納得出来る人生を送れるか、っていうところに掛かっているのよ。そこに、お金っていうものは人生の選択肢の幅を広げていく役割を果たすから、お金がある事によって年を重ねても選択の自由を得れる。年を重ねる事に人間は『選択の自由』が奪われる生き物だけど、お金があれば一定の選択の自由を担保出来るの。なんとなく、あなた達が求めている話しに近いお話しが出来る気がしてきたから、このままお金について話させて頂こうかしら」
話しが調子付いて笑顔を見せた美希さんに、「是非!お願いしますっ」と南山さんもキラキラとした笑顔で頭を下げた。