第18話「ちゃんちゃんCO」/ちゃんちゃんCO
18話:ちゃんちゃんCO
美希さんのカップの紅茶が少なくなっているのを見て、河内さんはカップに紅茶を継ぎ足した。立ち上る湯気と共に、紅茶の香りが見守るようにして部屋に香る。
「老後にだけお金があっても遺産くらいにしか使い道が無くなってしまう事もあるし、早め行動をとっていれば大きな病気も防ぐ事が出来るのに、モッタイナイ状態で、ここにいらっしゃる方って結構多いわよね」
河内さんの言葉に、「ほんと、そう」と美希さんは二回力強く頷いた。
「あなた達は、貯金派?お金とのお付き合いの仕方は、心得ている?」
美希さんからの問いかけに、上田は小さい声で「貯金しかしていません…」と答えた。その上田の答えに、美希さんは目をパチパチさせて僅かに首を傾げた。
「ちなみに、時は金なり、っていう言葉はご存知?」
「…アメリカ建国の父と言われる、ベンジャミン・フランクリンの言葉ですよね?労働者として1日の半分を汗水垂らして働いて、その半分は何もせずに過ごしていた時に、この言葉を残したっていうのは何かの本で読んだ気がします」
少し緊張した面持ちで答えている上田を見ていると、試されているような場の空気にこっちまで気を重くしてしまいそうだった。不自然にならないように、ゆっくりと深く息を吸って吐いてみる。ふと目に入った南山さんは、普段と変わらない表情で紅茶を飲んでいた。
「そうね。労働で支払われるお金は、その労働時間に紐づいていくでしょう?あとは、実績によって変動したり、スキルによって変わっていくのね。歳をとって同じ事をやろうとしてもね、意外と若い頃と同じように出来ない事が増えるものなのよ」
「たしかに、そうですね…。リスクを取れる若いうちに経験を積みなさいって、母から言われてきた意味を何となく今納得した気がします」
南山さんの声に南山さんの方を見ると、南山さんの目はキラキラと輝いているように見えた。上田や自分にはない、南山さんには場の空気を癒す力がある。言葉を聞いた美希さんの表情は、少しばかり柔らかくなったように感じた。
「素敵なお母様ね。リスクがとれるって、すごく貴重な事なのよ。それってつまり、失敗しても取り返しがつくっていう事だから。それに、意味のある失敗は大きな投資になる。失敗から学ぶ事が、一番人間を成長させるからね。だから若いうちのお金は、月収3ヶ月分の貯蓄と目的のある貯金以外は、自己投資も含めてリスクを負って投資をした方が賢い選択だと思うわ。貯金をする事が悪い事だとは言わないけれど、せっかくの若さがあるのに将来的に河内さんが仰っていたモッタイナイ人の仲間入りをする事になっちゃうのは、回避した方が良いと思わない?」
頷いて話しを聞いていた僕と南山さんを見て、上田が恐縮したような表情を浮かべながら小さく手を挙げた。「どうしたの?」と美希さんが、上田を見る。
「仰ろうとしている事は分かるんですけど、やりたい事を我慢してでも、貯金の為に節約をして過ごしているのは、そうでもしないと将来に向けた資金作りが難しい現状だからなんです。だから、美希さんのお話しも、どうしても自分とは違う世界のお金に余裕がある人向けの話しに聞こえてしまっているんですけど…、自分と同じように余裕がない人もいると思うんです。自分みたいな人は、どうしたら良いんでしょうか?」
口を窄めて一旦考えだした美希さんを見た後に、河内さんは姿勢を正すようにして席に座りなおすと、上田の事を見た。
「美希さんが考えていらっしゃる間に、一つ私から問題を出させて頂くわね。年収の手取りが300万円、家賃とか光熱費と食費を含めて月の固定支出15万円の人が、500万円貯めるのにはどの位の期間がかかるかしら?」
「えー…、12で割って月に使えるお金が25万円なので、切り詰めて10万円を毎月貯金できたら約4年。ただ10万円貯金していくのは、かなり厳しいと思うので、月5万円貯金して約8年間で500万円貯める方が現実的だと思います」
「計算、早いのね」
河内さんが、ニコッと笑って頷くと、美希さんも納得しているように頷いた。
「じゃあ、手取りが560万円で固定費が15万円だった場合はどうかしら?」
上田が考えるように、宙を見ながら答え出す。
「月に使えるお金が約46万円で、切り詰めたら月20万円なので約2年間で貯まります。現実的に15万円貯めたとして、約2年半で貯まりますね」
「手取り額が違うと、500万円を貯めるのに期間が全然変わってくるのよ。最長約8年が約2年半まで変わってくるでしょ? ちなみに、これは最初のが年収約350万円の場合の手取額で、次のが年収約700万円の場合の手取り額」
「こんなに差が出てくるんですね!」
上田が言葉を発する前に、驚いて声を発してしまった。上田も「いやー、そっか…」と言いながら腕組みをして頷いている。
「つまり、若いうちは一生懸命貯金をしていくんじゃなくて、自分自身のスキルアップの為に自己投資をして、少しでも年収をあげていく事の方が重要っていう事!」
「あぁ!なんだか色々と納得しました。自己投資を含めて、貯金だけじゃないお金の作り方も実践してみようと思います」
普段見る、自信が伴っている上田の回答している姿に内心ホッとしてしまった。お金の話しなんてして来なかった分、今日はいつも余裕のある上田の意外な一面を見た気がした。
「和子さん、さすがだわ。分かりやすくて、感動しちゃったわ」
美希さんが笑顔で河内さんの方を向いていうと、南山さんが「良い事思いついちゃいました!」と手を挙げた。「なになに?」と美希さんが笑顔で南山さんを見る。
「私達みたいに社会人歴が浅い人や、学生とかに向けて今日のお話しをして頂けたら、今後の人生がより豊かになる人って多いと思ったんです。そういう人に向けて今回のお話しをして頂けたら、若年層が老人ホームに足を運ぶキッカケになるし、良いんじゃないかなって思ったんですけど…どうですかねっ?」
最後だけ不安げな表情で首を傾げた南山さんを前に、「良いじゃない!」と河内さんと美希さんは顔を合わせた。
「…そうだ。最近和子さん、還暦を迎えてちゃんちゃんこ着ていたじゃない?お金のセミナーなら、あなたが担当することになるし、還暦迎えた女性が若者に資産形成の話しをしていくから、ちゃんちゃんこセミナーとかどうかしら?」
美希さんの提案に、河内さんは可笑しそうに笑いながら「みなさんの意見を頂戴!」と言った。すかさず、南山さんが手を挙げる。
「はい、どうぞ」
「ちゃんちゃんことコンサルタントを掛けて、ちゃんちゃんこの『こ』を『CO』にして、ちゃんちゃんCOなんてどうですか?」
「ちゃんちゃんCOね。なんかオシャレっぽくて良いわね!私、賛成よ」
嬉しそうに手を叩いて喜んでいる美希さんと河内さんのやりとりを見ながら、年を重ねる事に対して前向きな気持ちを抱いている自分に気が付いた。
南山さんも、ニコニコと笑っている。
今後、自分たちがどんな年の重ね方をするのか少しだけ気になった。ただ、先に感じる未来はちっとも暗くはなく、むしろ明るいように感じた。