4章第8話:「投資とオトンと店主と」/恋する3センチヒール
知らなかったオトンの話に驚く俊明。
さらに店主の意外な過去が明らかになり…?!
前回 4章第7話:「風が吹けば桶屋が儲かる」
4章第8話「投資とオトンと店主と」
「経済の話ですか?」
生ビールを運んできた店主は、丁寧にジョッキを置くと、机の上の雫を白い布巾で拭きとった。
「こいつが、不動産投資を先輩から勧められてるんやと」
僕の肩をオトンは二回叩いた。
「先ほどは大きな声を出してしまって、申し訳ありません。資産運用の話しで、ちょっと悩んでいまして。父に相談に乗ってもらっていたところなんです」
皺さえ品があるように見える店主は、優しい眼差しで頷いた。
「若い頃は、未来のことが見えなくて悩みますよね。私も、12歳の時に思い描いた夢が、定年後に叶うなんて、新卒で企業に勤めた時は想像すら出来ませんでしたよ」
愛おしそうに店内を見渡して、店主は微笑んだ。
「えっ。前はサラリーマンだったんですか?」
オトンと店主は、目を合わせて笑った。
「お父様にはお話しさせて頂いたのですが、5年前までは銀行に勤務しておりました。銀行に勤めながら、専門学校に通って料理の勉強をして、早期退職という形で現在に至ります」
「前のな、新橋の店に通っている内に、仲良くなったんよ」
ニコニコと上機嫌に、オトンは笑った。
「あの…。初対面で唐突な質問をしますが、投資についてどう思いますか?」
「なんや、そのヤンワリとした質問は!」
「オトンは黙っといてや」
店主は、微笑んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「投資っていうものは、自分の利益の為にやる行為のように思えますが、実際は日本経済に大きく貢献をする行為なんですよ。失礼ですが、GDPという言葉はご存じですか?」
「国内総生産ですよね?一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額ですよね」
真っ直ぐとした目で僕を見た店主は、大きく頷いた。
「そうです。この中の生み出されたものを消費する人達が、民間、政府、外国の3つです。その中の民間には、私達個人の家計や企業が含まれているので、私達の個人の消費が増えるとGDPは大きくなります」
「僕達の支出が増えて世に巡るお金が増えると、国が豊かになるっていうことですね」
「これで答えられへんかったら、バカ息子って殴るところやったわ」
安心したようにオトンは笑ったのに反して、店主は真面目な顔で話しを続けた。
「少し重い話しになりますが、最近の若い方は国という意識が薄れてきているように感じていまして…。私のような初老の身としては、哀しい気持ちになることもあるんです」
「国に、ついてですか。正直、そこまでは考えたことはなかったです」
今までの自分を省みて、思わず肩が内に入ってしまった。
店主の顔を見ると、少し遠くを見るようにして、話しを続けた。
「私達の父親世代までは、戦争を体験してきたからこそ、日本という国に生きている国民意識が今よりも強かった時代でした。それが、最近はグローバル化で、ボーダーレスの考え方も浸透してきていますよね。けして、それが悪いことではないんです。良い面も沢山あります。ただ、色んな考えの人間がいるように、色んな考えを持った国が存在します。だからこそ、日本あっての日本人だということを忘れないで下さいね」
オトンは、店主と握手をした。
「さすがやわ」
二人の姿を見ながら、今まで自分の資産のことしか考えて生きてこなかった自分を恥じた。
お金を使うということに、ここまで意味があるとは考えてもみなかった。
「右翼、左翼と言いますが、私はそのどちらでもないんです。ただ、私の祖父は神風特攻隊として米軍の敵艦に体当たりをして亡くなっているので、他の方よりも国に対する想いが強いのかも知れません。特攻隊については様々な意見がありますが、祖父が残した手紙や日記を読む限り、自分の大切な人を守るために、という純粋な思いが大きかったそうです。これからの日本を作っていくのは、現役世代の若者ですからね。守られているからこその『平和』だという事を忘れないで頂けると嬉しく思います。長々と失礼しました」
綺麗なお辞儀をして厨房に戻っていく店主を見て、いつの間にか自分も深く頭を下げていた。
そんな僕を見て、オトンはウンウンと二回頷いて日本酒を飲んだ。
「精進せい!」
オトンの口癖が、胸に沁みた夜だった。
4章第9話:「エンゲージリング」